皆さん、こんにちは。

シリーズブログの第一部「小さな気づきで全てが変わる~Small changes make
a big difference」9回目になります。

今回は、数年ぶりに当センターへ遊びに来てくれた卒業生(男性)が、矢市先生と久しぶりにたくさん会話を交わしてくれました。

その内容を、記事の後半でご紹介して参ります。

ある卒業生(男性)の紹介

久し振りに目にする彼は、良い意味で肩の力が抜けて、とても自然体でした。

出会った当初の彼は、10年以上に及ぶ引きこもりで、昼夜逆転生活を送り、昼間は布団の中で過ごし、夜になると活動を始めるといった様子でした。

親に対して暴言は吐くものの、暴力などは一切ありませんでしたが、被害意識と対人恐怖が強く、常に緊張感の高い状態が続いていたのを記憶しています。

そんな彼も、当センターに約一年半入所した後に、通所プログラムを経て、無事社会復帰を果たしました。

彼からの好意もあり、この度、会話内容をブログに公開してもよいとの許可をもらえましたので、彼が当時どんなことを考えていたのかを振り返りながら語ってくれた話を、ぜひみなさんにも感じ取っていただければと思います。

卒業生との一問一答

Q1:親に反抗していたときの思いは?

A:「焦りと怒りで、手加減をすることなど思いつかなかった。」

Q2:親と交流を持とうとしなかったのはなぜか?

A:「親に『何かまた否定されるのではないか』という気持ちがあったからこそ、距離を取ってしまっていた。家族間でも、敵・味方の関係を想像してしまっていた。」

Q3:マスクや耳栓を使いたい気持ちがあったと思うけど?

A:「周りの雑音や、ちょっとした笑い声にすら焦りを感じてしまっていた。何か笑われているのではという気持ちが強かった。」

Q4:親に対する敵意と、その他の人への意識は異なりますか?

A:「親に対する期待から、親にすごく敏感になっていた。家族のメンバーそれぞれにもランク付けをしていて、それに合った交流の方法をとっていた。

Q5:昼夜逆転生活をしていた時の気持ちは?

A:「意識がある状態のときは、すべてに対して違和感があるから起きていたくなかった。とにかく現実から逃げたかった。」

Q6:センターのように『保護された自由な環境で人は変われる』ということに対して、どう思いますか?

A:「家庭での会話に聞きたくない内容が出た時、それが原因で自分を責めてしまうことがよくあった。こうした保護された自由な環境は大切だと思う。引きこもることはけっして自由だとは思わない。焦りと不安の中でいつも戦っていた。」

Q7:センター生活において、「自己成長」はどう起きましたか?

A:『あるがままを受け入れる』という考えが生まれたことかな?『~しなければならない』という発想が強かったが、『~でもいいじゃん』という柔軟性が生まれた。それが心の自由と安心になったと思う。ひょっとすると、自由とは『否定することではなく、受け入れること』なのではないかと思えるようになった。」

Q8:親の立場として、子どもを社会へ出してあげたいという願いを、どう伝えたらいいと思うか?また、最初の成長へのステップのきっかけは何だったか?

A:「母親との夜間の散歩を通じて、行動範囲を少しずつ伸ばしていった。焦る親が居ることが、自分の焦燥感をさらに強めてしまっていたと思う。世間一般の人と同じ復帰ではなく、自分に合ったカタチでの復帰を目指したらいいと思う。」

Q9:親はどういった態度でいて欲しいか?

A:腫れ物を触るような接し方は本当につらかった。なぜなら自分を否定してしまう感情が出てきてしまうから、そういった接し方は避けてほしい。」

Q10:対人恐怖が強かったと思うけど、どういった気持ちだった?

A:「それ以上に、社会や他人と接していないと置いて行かれてしまうのではないかという焦りの気持ちの方が強かった。」

Q11:社会復帰に対する想いはどんなものだったか?

A:物事を客観的に見られるようになり、自分がやってみたいことが少し見えてきたので、今は希望があります。でも、もしうまくいかなかったとしても、それはそれでまた考えればいいやと思える。」

 

以上が、実際に矢市先生との間で行われた会話のやりとりです。

彼なりにつらく、苦しい時代を過ごしてきましたが、今の彼には、その経験こそが感謝の対象になっていることに驚かされます。