皆さん、こんにちは。

今回は、これまでに数多くのパーソナリティ障害に悩む方たちと向かい合って来た佐藤矢市先生の、心の専門家としての矜持(きょうじ)をご紹介させていただきます。

心の専門家として

パーソナリティ障害者の本心をしっかりつかまえることができる「感性」というのは、経験数を多く重ねていくことで可能となるので、とても面白く楽しい作業です。

私は、目の前にいるパーソナリティ障害の方たちを見ると、「この人は、口ではこういうことを言っているけど、本当はもっと深い所で、何か本質的なものを求めているのかもしれない」と感じることがあります。

例えば、『寂しさ』や『孤独感』など、口に出して表現することができずに、一気に問題行動(自傷、未遂、他害、各種の依存・・・)に向かってしまいます。

面接を何度か続けていくと、最初はどうにもならなくなっている心が、時々急に明るく感じたり、目の前のクライアント自身が何かを発見していく姿を一緒に見ることがあります。

現代人の多くは、心のものすごく深いところで癒されたり、魂が本当に癒されるという体験を切望しているように思えてなりません。

それがあまりにもできない(叶わない)から、すさまじい衝動性や敵意を伴った行動や感情が出てきているのだと思います。

その心を「パッ」とつかむセンスというのが、心の専門家として本当に問われてくるのだと思います。

自己愛が傷ついている現代人

現代ほど、才気というのか、心・魂というのか、そういうものが傷ついている時代はないと思います。

ものすごく傷ついていますね。

私はそういう目線で日々、『うつ病』『気分障害』『社会不適応障害』『不登校』『自傷行為』『買い物依存症』『インターネット依存症』『万引き』『摂食障害』など、こういった人たちの話を命がけで聴いています。

そして、聴いていくと見えてきます。

その人の世界観が見えた時に、初めて専門家として何かしらの光を照らすことができるのです。

この時、「こちらが治してやろう!」とか「変えてやろう!」とか医学モデルでは「あなたは相談者だから、変えてあげますよ」というおこがましい気持ちを持ったら、もう駄目です。まず治りません。

命がけで生きているパーソナリティ障害者

ある意味で、パーソナリティ障害の人たちは臨床家を見る目がすごくあります。

彼らは「命がけ」です。

彼らは、自分の問題を命がけでちゃんと見てくれる人を捜し求めています。

当然、中途半端な気持ちや逃げ腰の姿勢はすぐに見抜かれてしまいます。

だからこそ、彼らの本音を見抜くスピードと力・感性が、ますます求められてくる時代に入ってきていると思います。

テクニックではなく、自分の人間性や生き様をそのまま据えて、相手の目をじ~っと見つめ、その人に対して何ができるかを一つ一つ考えていくことなのです。

それを延々と何年もやり続けることです。

そのうち、何かどこかでピッタリと一致する感覚にめぐり合う場面があるのです。

私は、日々そういった方たちと一緒に生活していますが、彼らと同じ時間を共に歩めることに、とても感謝しています。

国内ではまれな入居施設のある心理支援機関として、これからもみなさんのサポートを続けて参ります。