SOS

 

世の中には複雑な事情を抱えた家族が、苦しいながらも頑張って人生を送っていらっしゃいます。

 

今回ご紹介する親子も、恵まれているとは言えないような環境の中で、娘の抱えるパーソナリティ障害(人格障害)に悩んでこられた方でした。

 

親子はパーソナリティ障害の専門である当施設で約1年間という入所生活を終えた後、どのような”学び”を経て娘が社会自立を成し遂げていったのか。

 

その一部始終を見ていくことで、今も同じような悩みを抱えているであろう親子へ何らかのヒントになることを祈り、ご紹介していきたいと思います。

※個人の特定がされないよう、一部情報を修正しています。

 

目次

1.母子家庭に訪れた試練

2.入所生活スタート

3.学びから自立へ

4.再起に向けて

1.母子家庭に訪れた試練

並木通り

Aさんは幼い頃に父親を亡くして以来、母親とたった二人きりで頑張って生活を続けていました。

 

そんなAさんも立派に成長され、大学生になって2年が経過した頃、順調に思えた状況は一変してしまいました。

 

Aさんは学校生活の中で、人間関係がうまくいかなくなったことに悩み始め抑うつ状態であるとの診断が下りたのでした。

 

そこから大学へ通いながら精神科や心療内科を受診しながらの治療生活が始まりました。

 

しかし、治療の甲斐もむなしく症状はますます悪化していくばかりで、やむなく大学を休学して短期間の精神科入院をすることになってしまいました

 

当時の母親は「娘(Aさん)はそう遠くないうちに退院して大学にもすぐ復帰できるだろう」と信じていました。

 

ところが、Aさんにとって入院生活は耐えがたいものであったようで、たったの1週間で退院することになっていまいました。

 

Aさんの症状は良くなるどころか入院体験が軽いトラウマとなってしまったせいで、その後は病院や施設へ足を運ぶことに対して拒否反応を示すようになってしまったのです。

 

観葉植物

 

大学も休学が続き、その間もAさんは様々な問題行動に走っては母親を困らせるという毎日を送るようになっていったのです。

 

ひどい時は母親が自分の思い通りに動いてくれなかったことが原因で暴れ出し自殺をほのめかすような言動で母親を振り回してみせたことがあったそうです。

 

他にも、交通事故を立て続けに起こしたり、浪費に走って100万円以上の借金を作ってしまったこともあったと言います。

 

こんなことが続いていては母親独りの手に負えるわけもなく、復学はおろか就職にも影響が出てしまうと感じた母親は必死にAさんをなんとかしてくれそうな所を探したのです。

 

数か所心当たりを当たってはみたものの、やはりどこの病院や施設をAさんに紹介しても頑なに拒んでしまうので支援につながれない状況が続いていました。

 

そんな折、パーソナリティ障害を専門とする当施設へ今の状況を添えた問い合わせメールが届いたのでした。

 

2.入所生活スタート

見据える女性

当施設では本人の同意を得ずに入所をさせることができないため、一度話し合いの機会を作っていただいて、なんとか説得にあたらせていただけないかとお願いしました。

 

最初は渋っていたAさんも「話し合うだけなら…」ということで、やっとのことで母親とAさんと私たちスタッフを含めた対談が実現したのでした。

 

結果、腹を割った話し合いの甲斐あって、なんとかAさんの同意を得ることが叶いました。

 

その時の母親の安堵の顔がとても印象的で、今まで苦労をされてきたということがひしひしと伝わりました。

 

Aさんは施設へ入所されることとなりましたが、入所後もしばらくの間は様々な苦しさが続いていました。

 

自分の異常性を恐れたり人と比べてしまったり、何よりも他人に自分のペースを崩されることを強いストレスと感じる傾向がありました。

 

「こんな生活いつまでも耐えられるはずがない…」「やっぱりこの施設も同じなんだ…」

 

当初はこんなことを考えていたと、後にAさんは語っていました。

 

パーソナリティ障害宿泊心理センター

 

当施設では、基本的に気の合いそうな同一スタッフが長期にわたって本人(Aさん)に携わることで早期の人間関係構築に努めています。

 

悩みを抱えながら入所生活を送っていたAさんも、スタッフとの関わりを通して少しずつ人に心を許すようになり、考えを改めるようになっていったのです。

 

その後は心理士とのカウンセリング集団セラピーに参加してみたり、スタッフや入所者同士との会話を重ねる機会が増え、あることに気づいたそうです。

 

それは、「自分の生きづらさの正体とは何なのか?」というシンプルな疑問でした。

 

その答えを知りたくなったAさんは、時には不満を爆発させて周囲と衝突しながらも入所生活を根気強く続け、約1年かけて自分なりの答えにたどり着いたのです。

 

3.学びから自立へ

朝日を浴びる女性

Aさんがたどり着いた答えとは「全てのことを何とかしようとしない」「誰のせいでもない」「一人では生きていけない」という彼女なりの真理でした。

 

「全てのことを何とかしようとしない」とは、対処の難しい問題や壁が立ちふさがった時、そのことから逃げてもよかったのだという気づきのことです。

 

嵐が通り過ぎるのを待つが如く、ただ時間が解決してくれることもあるのだということを知ったのです。

 

「誰のせいでもない」とは、一生懸命犯人捜しをしてみたところで、責任追及をしても無益な結果に終わることが多く、意味がないことに気づいたのです。

 

誰のせいだ!と憤ってみてもただ疲れるばかりで得るものがないということがわかってからは、なんだか馬鹿らしくなってしまったとすら思えるようになったと言っていました。

 

「一人では生きていけないとは、自分だけで頑張ってもできないことや難しいことが多く、誰かの世話になって今の自分の生活が成り立っているのだということへの気づきでした。

 

当たり前のことのようにも思えますが、この事実をしっかりと自覚して生きている人は意外と少ないものです。

 

今回、Aさんが得たこれらの気づきは、彼女が当施設を退所された後の人生において非常に意味のある学びであったことは言うまでもありませんでした。

 

そして、その学びは当施設が用意した特殊な環境下(小さな社会)の中だからこそ得ることができたのではないかと信じています。

 

アルバイトする女性

 

Aさんは施設を退所後、復学こそ叶いませんでしたが母親の希望もあって都内でアルバイトを始めることになりました。

 

不安もあったそうですが、以前のように人間関係でうまくいかなくなることもなく、アルバイトは続けることができたそうです。

 

その後しばらく音信不通ではありましたが、5年という月日が経った頃、Aさんの母親から1本の電話が入りました。

 

「おかげさまで娘は今年大手のIT企業へと就職することになりました」

 

知らせを受けたスタッフもさすがに驚きを隠せませんでした。

 

入所当時、確かにAさんは時折非凡な一面を見せてくれることがあったと記憶していましたが、まさかそこまで立派に成長されているとは思いもよらず、母親とともに喜びを分かち合いました。

 

当施設は、立派でなくても、どんな形でもいいから、無理なく生きていける術を身に付けていってほしいという願いを込めて皆さんを送りだしています。

 

4.再起に向けて

IT企業勤めの女性

今回、Aさんが入所を通して経験されていったように、まず自分の持つ生きづらさの存在を知ることから始まり、向き合う期間を経て、自分の持つ特性との上手な付き合い方を見つけていくというのがパーソナリティ障害の社会復帰パターンです。

 

結局のところ、”気づく”という行為は本人にしかできないことであり、周りがいくら気にかけてもできるかどうかは保証できない難しい課題なのです。

 

私たち専門家は、微力ながらその気づきへのヒントを与えたり日々の苦しさを和らげたり共感や理解を持って共に乗り越えていくためのお手伝いをしているだけにすぎません。

 

飛躍する女性

 

先にご紹介してきたAさん親子がそうであったように、まだ支援とつながれない段階で苦労されているご家族は全国にたくさんいらっしゃることと思います。

 

その最たる理由として、本人が病院や施設を毛嫌いしているというケースも嫌と言うほど見てきました。

 

しかし、「本人が嫌と言っているので…」では済まされない状況に置かれている家庭が多いこともまた事実です。

 

どうかその段階で歩みを止めず、困難を極めるであろう本人の説得を含めて当施設を頼っていただければと思います

 

親と子の双方の未来のためにも、どうか一緒に解決策について考えてみませんか?

 

私たちは、いつまでもそういった親子の心強い味方であり続けたいと思います。

 

 

 

・パーソナリティ障害宿泊心理センターのサポートご利用はこちらから

サポート案内ページへ