皆さん、こんにちは。
臨床の現場にいると度々、「大人になるとはどういうことですか?自立とはどういうことを言うのですか?」などの質問を受けることがあります。
私は、日々パーソナリティ障害者の方々と一緒に生活していますが、彼らには「大人や自立」というイメージを持っていない人がとても多いように感じます。
なぜならば、心の中にとても幼い一面を持っていて、その自分と折り合いをつけるために毎日必死にエネルギーを費やしているので、「大人や自立」などについて考えている余裕がないのかもしれません。
30代 男性 家庭内暴力 警察沙汰 強迫性パーソナリティ障害
今日は、ある男性経験者の言葉を紹介しながら、「大人になるとは?自立とは?」という質問に答えていきたいと思います。
彼は、約2年間、当センターに入所されていました。
入所するキッカケになったのは、母親に対する激しい暴力と暴言、極めつけは、近所のコンビニエンスストアの屋根によじ登り、大声を出し警察沙汰になったことです。
当時、私と初めて顔を合わせた彼は30代で一見、弱弱しい寡黙な男性でした。
強迫的な一面があり、自分が語った言葉を、後からなぞるように同じ言葉をモゾモゾと繰り返したり、前髪を仕切りに気にしていました。
話しを聞いていくと、窓ガラスの鍵を見ると、徹底的に掃除をしたくなる衝動に襲われるといいます。
どうやらコンビニの屋上によじ登り大声を出したのは、母親に自分が窓ガラスの鍵を掃除しているときにケチをつけられたことが引き金になったようです。
彼は入所してからも、しばらく自室の鍵を何時間もかけて念入りに掃除をしていました。
入所中には色々なドラマが繰り広げられましたが、修羅場を乗り切った彼が語った言葉を本人の同意の下、以下に紹介します(尚、上記のプロフィールは本人が確定できないよう修正を加えてあります)。
彼からの言葉:「自分の責任を負う覚悟を持つ!」
約2年間の、入所体験を通して私自身がしてきたことは、『自分を知る』という作業だったと思います。
当初、自分が何者であるのかまったくわからりませんでした。
というよりも、知るのがすごく怖かったと思います。だって、自分の中にある弱いところを見たくなかったんで・・・。
母親の期待に答えるために、学業成績も並々ならぬ努力を重ねてきました。
100点じゃないと、母は決して満足してくれなかった。
90点を取っても、決して褒めてくれず、間違えた10点を責められ続けました。
いつの間にか、母親のお気に入りの操り人形になっていましたね(笑)。
最初に自分について知ったことは、私なりの誤った強い「人生脚本」に支配されていたということです。
そして、絶対に書き換えられないと思い込んでいた人生脚本は、自分の手で書き換えられることを学びました。
自分のコントロールは自分にしかできないし、人は自分に対しての責任しか負えないのだということも知りました。
私は2年間で先生やスタッフ、他の研修生と色々話し合う中で、年齢を重ねたり、経済的に自立したりということではなく、本当の意味で大人になること、自立することとは、どういうことか考えました。
考え抜いた末に行き着いたのは、自立とは、自分の責任を自分で負えるようになること、自由であることだということに気がつきました。
「自由」とは、自分勝手に振舞うということではなく、自分の決断で行動でき、その結果に対してちゃんと責任を負えるということに気がつきました。
苦しかった当初は、自分が進むべき道は、八方塞で進む道がないように見えていました。
それは、母親という存在の期待に見合った人生を歩もうと必死だったからだと思います。
進むべき道は自分で決められると思った途端に、自分の目の前にいくつもの選択肢が広がり、気が付いたときには、自然と一歩を歩み出すことができていました。
もちろん、そう思った時に、一人ではどうしようも出来なかったので、センターのスタッフさんや先生、そして仲間がいてくれたことが、僕の後押しになってくれたと思います。
大人の条件?
いかがでしょうか。
彼の言葉の中に、「大人とは?自立とは?」という質問の答えが含まれていたように思います。
補足になりますが、大人の条件とは、彼が言っていたように、自分の責任を自分で負えること。
その他に、①独りの時間を楽しめること、②自分を適切に肯定できること、③衝動をコントロールできること、そして④いいかげんにやれること、これらは全て能力であり、練習すれば習得可能なものです。
見方を変えると、これらの条件を満たすことができないのが、子どもというわけですね。