皆さん、こんにちは。

シリーズブログの第一部「小さな気づきで全てが変わる~Small changes make
a big difference」15回目になります。

パーソナリティ障害の方たちの中には、他者への激しい暴力や暴言、摂食障害や数々の依存行動などにより、医療機関への入院を余儀なくされてしまうケースがあります。

今回は入院治療による弊害などについて、その過程から回復した当センターの卒業生の例を交えて解説して参ります。

入院治療だけでは才能が潰されてしまう

家族にとって、自宅で問題を起こされるよりは、医療機関へ入院してもらった方がよいという気持ちがあることは理解できます。

ですが、残念ながら入院してしまうことによって、彼らが元来持っている「個性」や「才能」といった良い部分が、徐々に浸食されていってしまうのです。

ある精神科医は、入院中に病棟内で色々と問題を起こしてもらっては困るという理由で、特に問題行動の多い患者さんには強い薬を投薬せざるを得ないと言っていました。

そんな彼らの問題行動の背景には、実は強い「怒り」「憎しみ」を抱えていることが多く、その感情をどこかで表現し、受け止めてもらう必要があります。

もちろん、他人に危害が及ぶような暴力行為などではなく、「言葉」で表現することが重要です。

しかし医療機関に入院している間は、少しでもこれらの感情を表現しようものなら、たちまち薬の力で抑えようとしてしまうので、適切な感情表現がなされないまま、感情鈍麻が起こってきます。

彼らは次第に感情を表に出すことを諦め始め、無気力状態になってしまうという副作用があります。

最悪の場合、薬依存にまで至ってしまうこともあります。

たしかに、錯乱や興奮状態が続く場合には、一時的に入院治療を行うということは必要だと思いますが、長引いてしまうと回復が望めないどころか、「才能」そのものを潰してしまう可能性も出てきてしまうのです。

ある卒業生の話

当センターを数年前に利用されていた、境界性パーソナリティ障害を抱えたある女性(当時30代)は、まさに入退院を繰り返し、いわゆる「薬漬け」状態で当センターへと辿り着かれました。

度重なる自殺未遂と家族への激しい暴力、そして最終的には自宅のマンションから飛び降り自殺を試みたことがきっかけとなり、「措置入院」になりました。

入院後も病棟で暴れて周囲の方を巻き込んでしまったために、個室に隔離され、投薬治療がメインになっていました。

もちろんそれでも彼女の持つ激しい攻撃性は時々顔を出し、その度に強めの薬が処方されました。

気がついてみれば彼女は言葉も少なくなり、感情鈍麻が起こってしまい、ほぼ寝て過ごすだけの毎日に陥ってしまったのです。

ちなみに当センターに来談された当初の彼女の様子は、表情に何の変化もなく、質問に対してただ淡々と「はい」か「いいえ」の返答しかありませんでした。

常に何十種類という薬を服用していて、常に携帯しているパンパンの薬袋を手放してしまうとパニックが起きてしまうといった状態でした。

彼女の才能が再び目を覚ます

無気力で個性を感じられなかった彼女が、当センターの生活の中で実は「お花」というものに並々ならぬ興味を持っていることがわかってきました。

毎日のようにセンターガーデンに咲き誇っている何種類ものお花を眺め、時には摘んできてフラワーアレンジメントを作って見せてくれたこともあります。

境界性パーソナリティ障害者として、医療機関をたらい回しにされてきた彼女の過去には、フラワーアレンジメントの資格を持ち、生花店で働いていた経歴があったのです。

これこそがまさに彼女の持つ「才能」だったのでしょう。

彼女はお花と触れ合っている時、フラワーアレンジメントを制作している時には、とても自然で素敵な笑顔を見せてくれました。

そんな表情が見られるようになってきた頃には、減薬も成功して、本来の彼女の姿が戻りつつありました。

才能の開花(回復)に至るまで

彼女がこの段階に至るまでには幾度となく、怒りや憎しみが表れる場面があり、私たちはその都度励ましたり、応援したりして、その怒りや憎しみを「自分の言葉」で表現できるようにサポートを続けてきました。

怒りや憎しみと聞くと、負の感情というイメージで悪い印象を抱かれる方もいらっしゃるかと思いますが、私たちはむしろ、これらの感情を表現することに対して大賛成という姿勢であり、表現できたことに称賛すら示しています(もちろん、暴力などはNGです)。

とても地道に感じるかもしれませんが、これらを繰り返していくことで、薬では届かない心の奥底に眠る感情を処理していくための近道になると信じています。

私たちはどんなに強い怒りや憎しみが表現されたとしても、決して彼らを放り出したり、逃げだしたりはせず、正面から受け止めていきます。

その先に、彼らの持つ何がしかの「才能」が垣間見えてくると知っているからです。

ちなみに、今回例に挙げさせていただいた女性は、見事に自分の持つ才能を自覚し、再び生花店のスタッフとして社会復帰を果たした後、面倒見も良かったこともあり、店長として社員を教育し導いていく立場にまで成長されたそうです。

彼女はもう大丈夫です。今も自分の夢の実現に向けて進み続けていますから。