家庭内暴力娘の母だけが責められ続ける社会
家庭内で娘からの暴力が起きているにもかかわらず、母が動けない、決められない、見守ってしまう。
この状況に対して、世間は簡単に言います。
「なぜすぐに対応しないのか?」「早く手を打っていれば」と。
実は私たちも、娘さんの家庭内暴力に悩まされている母に対し、なるべく早く対応に動き出すことを促してきました。
しかし、母は決して怠けているわけでも、娘を甘やかしているわけでもありません。
娘にケアやサポートを受けさせようとすれば反感を買い、火に油を注いでしまわないか。
無理をさせても可哀そうだし、いつか時間が解決してくれることを祈って耐え続けていればいいのか。
多くの母は、「どちらを選んでも家庭が崩壊する未来」しか想像できず、判断に迷っているのです。
このときの母は「見守る」というより、半ば思考停止のような状態なのかもしれません。

「本人の意思を尊重せよ」という社会が足をひっぱる
現代の行政や病院などの支援構造は、母に次のようなメッセージを繰り返し投げ続けます。
「本人が望まなければケアはできません」
「大人なので強制は難しいです」
「親が決めることではありません」
その結果、母の中には次の認知が固定されます。
親の判断で動くこと=過保護、越権行為
親が止めようとすること=支配、過干渉
何もしないこと=人権、意思の尊重
つまり、見守ることだけが“正しい態度”として内在化されていくのです。
この構造の中で、母が「決断できない自分」を責め続け、家庭内暴力だけが静かに常態化していく。
つまり、母が決断できないことは母だけの責任ではなく、社会そのものの影響によるところも大きいのです。

JECセンターは母に責任を押し付けない
JECセンターが担っている役割は、娘さんのためでも母に無理強いをさせることではありません。
むしろ、母が決断せずに済む構造を外部から作ることを目指しています。
現実的に、決断できなかった母の家庭でも娘さんにサポートの介入を成立させられた要因は、配偶者(夫)や親族が協力を申し出て、代わりに決を下してくれたことでした。
その他には、ごく稀に母自身が限界に達したことで結果として「自分を守るため」に外部を頼れた場合のみです。
JECセンターの入所サポートは、母に「決めなさい」と迫る支援ではありません。
母が一人で背負わなくても済むよう、決断と責任を構造として引き受ける支援です。

「見守るしかない母」を、孤独にしないために
娘による家庭内暴力が起きている時点で、すでに家庭だけで抱えられる段階は終わっています。
何度も言いますが、その娘を助けたいのに動けないのは母が悪いからではありません。
動けない構造の中に、母が閉じ込められているのです。
JECセンターは、その構造そのものに介入しようとするための専門機関です。
「決められない」母が、一人静かに壊れていってしまう前に。
見守るしかなかった母が、責められる立場から降りるために。
そんな母に必要だったのは、外部に決断を委ねられる仕組みです。
夫でも、祖父母でも、叔父でも叔母でも構いません。
どうか娘を想う母の力になってあげてください。
その先で、私たちが専門家として娘さんと家族のために協力の手を差し伸べます。