皆さん、こんにちは。
今回は久しぶりに、体験者のことばをご紹介したいと思います。
これから紹介するお手紙は、当時20代の境界性パーソナリティ障害の娘、A子さんを持った母親からです。
私が初めてA子さんに出会った頃は、母親に対する激しい攻撃性と暴力がありました。時々その攻撃性が自分自身にも向かうことがあり、腕には数々のリストカットの傷跡がありました。
当然、母親は娘、A子さんを遠ざけ(腫物にさわるように接して)、怯えていた毎日のようで、かなり疲れ果てていた印象でした。
A子さんが、当センターに入所された当初は、口を開ければ母親への恨みつらみを永遠と語り、涙を流し、再び母親への恨みを語るということを何度も何度も繰り返していました。
しかし、一歩前を歩く経験者や先輩たちからも色々なアドバイスや「母親という存在のとらえ方」などのヒントをもらっていく中で、少しずつ落ち着いてきました。
そんな娘さんを持った母親からのお手紙を、本人の同意の元ご紹介いたします(尚、本人が特定できないよう、修正を加えてあります)。
お母さんからの手紙
8ヶ月間、娘を預かっていただき本当にありがとうございました。
センター修了後の一週間、娘と暮らして、やっと穏やかな暮らしを体験しています。
娘にとって、人格障害研究センターでの生活は、自分をじっくりと見つめなおせた期間になったんだと思います。
生活態度を見ていると、とっても変わったなあ~と思う点がいくつもあります。
まず、親に対しての批判がありません。いつも穏やかに接しています。謙虚さも出てきました。異常な甘えもなく、「普通」です。
主人が帰宅すると、「おかえり」とやさしく娘は言えるようになりました。一緒にテレビを観る事が、夜の課題みたいに・・・。
以前でしたら、一緒にいても批判的な言動、暴力がありました。
昔のことが嘘のように、今はまったく無いです。
やはり、娘にとって「自分を変える!」。こう思えたことが一番の解決だったんだと思います。
恥ずかしながら、母親としての私は、娘が自分の力で何かを成し遂げるという力を信じてあげることができなかったんだと今になって思います。
センターの皆様の愛情で、今回新たな成長をしたな~と感じております。
私達にとって、親亡き後の心配が少しずつ消えていく感じで、とっても嬉しいです。本当に感謝しています。
見渡してみると、パーソナリティ障害という問題で苦しみ、40歳になっても、いまだに親への批判、他人への攻撃が収まらず、すさまじい人生を送っている人は、本当に沢山いると思います。
人格障害研究センターのような場所にめぐり合えたことは本当に奇跡だったと思っています。病院を転々と探し回り、入院を断固拒否され続けた経験が今は懐かしく思います。
我が娘に対して、センター長をはじめ、スタッフの皆さんの努力、応援、暖かいまなざしを感じました。
本当に熱い情熱に感謝いたします。
親子の心理的距離を保つ
この手紙にもつづられていたように、入所者の多くは、入所期間中に、ある程度症状が落ち着いてくる時期が訪れます(3ヶ月程経過した頃です)。これを「安定期」と呼んでいます。
その頃を見計らって、私は、皆さんに定期的にご実家に帰ることを提案しています。
どれくらい親との距離感が保てるようになったか、実際に体験していただくためです。
親に対する怨みやつらみが整理され、浄化されていないと、帰宅後すぐに以前の状態に戻ってしまい、親を振り回し、困らせるなどの甘え行動が出てしまいます。
しかし、これは失敗ではなく、まだまだ気持ちの整理や浄化が必要な段階ととらえなおしていきます。
これを繰り返していくことで、お手紙に書かれていたように、母親といても穏やかな日常を送れるようになるわけです。
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