今回もYさんに体験談をシェアしていただきます。今回のテーマは「親に対する理想と現実」です。
それでは早速見ていくことにしましょう。

 当事者の実体験より

私は幼少期に親に理想を抱いていたことがあります。
 
その理想とは、私の考え方や感情を理解してくれたり、休日にはどこか遊びに連れて行ってくれることでした。
 
でも現実は私が親の考え方や感情を理解し、記憶に残っている限りだと休日は勉強をしたり、知り合いと遊びに出かけてたような気がします。
 
でもそれでも良いと思っていた時期もありました。
 
学校に行けば友達もいたし、話し相手もいたので家にいる時にだけ親の話を我慢して聞いていれば良いという生活だったので、それほど窮屈ではありませんでした。
 
しかし、小学校高学年になり、私はいじめにあい不登校になってしまったのです。
 
話を聞いてくれる人もいないし、親にいじめにあっているとも相談出来ず苦しんでいました。
 
そんな中でも親戚や世間の目を気にしている親からして見れば、学校に行かないと怒る対象になります。
 
最初は毎日「学校に行け!」と言われては車に乗せられ、校門の前で降ろされました。
 
でも手首を切った日から、親の態度が一変し腫れ物に触るような扱いになったのです。
 
私は今なら苦しみを分かってくれるかもしれないと考え、さらに手首を切ることもあったし、分かってと叫ぶようにもなりました。
 
今まで我慢して抑えていたものが、一気に爆発したのです。
 
それがパニックや自傷行為、被害妄想に繋がったのかもしれません。
 
しかしその時に、親は刺激を与えたくなかったのか私の言うことを聞くようになり、まるで召使いの様になりました。
 
立場が一瞬にして変わったのです。
 
でも心のどこかでは嫌悪感や罪悪感でいっぱいでもありました。
 
でもそれよりも話を聞いてくれる親を手に入れたことに喜びを感じたのです。
 
現実には手首を切ったりしているのですから、恐くて言うことを聞いてしまうのでしょうけど、それが優越感や喜びに変わってしまうと、善と悪の区別もつかなくなるのです。
 
親を押さえつけているのかさえも分からなくなり、第三者に言われるまで酷いことをしていた自覚が全くありませんでした。
 
自覚が出たのは自分の心に真剣に向かい合った時でした。
 
理想を手に入れても、現実で幸せでなければ意味がありません。
 
しかしパニックになっているときはその区別が全くつかないので、それを教える人が必要なのだと私は学びました。
 
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いかがでしたでしょうか?
 
パーソナリティ障害者は、特に親に対して、高い理想と幻想を抱いています。
 
そして、それにそぐわない現実の親を目の当たりにすると、激しい絶望感怒りが込み上げてくるのです。
 
パーソナリティのタイプにより、その絶望感と怒りを家庭内暴力などのように、直接親に向ける場合と、引きこもりや摂食障害、自傷行為や数々の依存症などのように自分へ置き換える場合があります。
 
これらの問題行動の根底には、「私の事をもっと分かって!もっと真剣に向き合って!」という承認欲求が隠れています。
 
しかし、当の本人もこれらの感情をそのまま表現できないので、数々の問題行動を通して表現しようとしているわけです。
 
Yさんの体験談にもつづられていましたが、これらの行動を目の当たりにした親は、子どもを腫れ物に触るように接していく一方で、知らず知らずのうちに、子どもの召使いや専属奴隷のようになっていきます。
 
そして、子どもは「ようやく親が振り向いてくれた」と錯覚を起こすのですが、親との力関係が逆転してしまっていることに罪悪感と嫌悪感を抱くようになり、この罪悪感と嫌悪感が再び問題行動をエスカレートさせていくことになるのです。
 
こうなってしまうと「本人や家族の力だけ」ではこの悪循環を断ち切ることは出来ません。
 
Yさんの体験談にもありましたが、客観的な第三者の介入が必要なのはこのためなのです。
 
第三者の介入が入ることで、親子間の心理的距離を保ち、子どもは少しずつ親への理想や幻想を手放し、現実の親を受け止めることができるようになるのです。
 
同時に、子どもも自分自身に対する高い理想を手放し、現実の自分を受け入れ始めることができるようになるのです。