先日、数年ぶりにあるOBが、当センターに遊びに来てくれました。数年ぶりに会った彼は、良い意味で肩の力が抜けて、とても自然体でした。
私と出会った当初の彼は、10年以上も引きこもり生活を送っていました。昼夜逆転生活を送り、昼間は布団の中で過ごし、夜になると活動を始めていました。
また被害妄想と対人恐怖が強く、緊張感もとても高い状態でした。親に対して、暴言は吐くものの、暴力などは一切ありませんでした。
彼は、センターに約1年半入所した後に、通いプログラムを経て社会復帰を果たしました。
そんな彼が遊びに来てくれたときの会話を少し紹介したいと思います。
一問一答という形で、彼が当時どんなことを感じていたのかを振り返りながら語ってくれました。
彼の同意の元、紹介します。質問者は私(佐藤矢市)です。
Q1:親に反抗していたときの思いは?
A:「焦りと、怒りで、手加減をするなど思いつかなかった」
Q2:親と交流を持とうとしなかったのはなぜか?
A:「親に『何かまた否定されるのではないか』という気持ちがあったからこそ、距離を取ってしまっていた。家族間でも、敵・味方の関係を想像してしまっていた」
Q3:マスクや耳栓を使いたい気持ちがあったと思うけど?
A:「周りの雑音やちょっとした笑い声にすら、焦りを感じてしまっていた。ん~何か笑われてしまうんではないかという気持ちが強かった」
Q4:親に対する敵意と、その他の人への意識は異なりますか?
A:「親に対する期待から、親にすごく敏感になっていた。家族のメンバーそれぞれにもランク付けをしていて、それにあった交流の方法を取っていた」
Q5:昼夜逆転生活をしていた時の気持ちは?
「意識がある状態のときは、すべてに対して違和感があるから、起きていたくなかった。とにかく、現実から逃げたかった」
Q6:センターのようなに『保護された自由な環境で人は変われる』という事に対して、どう思いますか?
A:「家庭での会話に、聞きたくない内容が出た時、それが原因で、自分を責めてしまうことがよくあった。こうした保護された自由な環境は大切だと思う。引きこもることは、決して自由だとは思わない。焦りと不安の中でいつも戦っている」
Q7:センターの生活において、「自己成長」はどう起きましたか?
A:「『あるがままを受入れる』考えが生まれたことかな~。『~ねばならない』という発想が強かったが、『~でも、いいじゃん』という柔軟性が生まれた。それが、心の自由・安心となったと思う。ひょっとすると、自由とは、『否定することではなく、受入れること』ではないかと思えるようになった」
Q8:親の立場として、子どもを社会へ出してあげたいという願いを、どう伝えたらいいと思うか?最初のステップのキッカケは何だったか?
A:「母親と夜間の散歩を通して、行動範囲を少しずつ伸ばしていった。焦る親がいることが、自分の焦燥感をさらに強めてしまっていたと思う。世間一般の人と同じ復帰ではなく、自分にあったかたちでの復帰をめざしたらいいと思う」
Q9:親はどういった態度でいてほしいか?
A:「腫れ物をさわるような接し方は本当につらい。なぜなら、自分を否定してしまう感情が出てきてしまうから」
Q10:対人恐怖が強かったと思うけど?
「それ以上に、他人(社会)と接していないと置いていかれてしまうのではないかという焦りの方が強かった」
Q11:社会復帰に対する想いはどんなものだったか?
A:「自分がやってみたいことが少し見えたので(物事を客観的に見れてきたので)、今は希望があります。でも、もしうまくいかなかったとしても、それはそれで、また考えればいいやと思える」
以上が、先日実際に私と行われたやり取りです。彼なりにつらく苦しい時代を過ごしてきましたが、今の彼にはその経験こそが感謝の対象になっていることにとても驚きました。